2018年1月21日更新

夜、ある若いご夫婦の家に出張。施術終了後、年末に体調崩して以来、小さなお子さんも夜熟す出来てないとのお話を聞く。

昨日以来思う事「プログラムの書き換え」の話がまた口に出る。

家事と育児は、しばしば両立しない時がある。どちらが大切かと言えば、ほぼ全員「育児」と答えるが、どちらかを選ばねばならない時、意記事を優先させる人ばかりでないことに気づく。

或は、子供が寝たときに、家事を済ますのではなく、一緒になってごろ寝して、夕方まで寝てしまい、炊事をはじめ火事がおろそかになっても「まぁいいや」と思えるかどうかである。

親が楽をするのを子供に見せるのは、勇気がいることだがとても大事な事である。その後の子育てが格段に楽になる。それだけでなく、子供が親になった時も子育てが楽である。

口で言うほど簡単ではないが、そんなお話が出来ただけでも有益だったのではないかと思うのである。

 2018年1月19日更新

もう5年ほど前、施術が終わった時、その若い女性の顧客さんから「手を見せて欲しい」と言われたことがあった。
その方は、数秒まじまじを私の手を見てから帰って行かれた。

それから、何度か来られたことがあった。県外の学校でで鍼灸の勉強をされていると言われた。

ある時、その時の事を聞いたら私の掌が熱かったので、と言われた。同じような事を言われたことは珍しくないが、手を取ってまじまじ見られたのは後にも先にもこの方だけだった。
今年、その方から、県内で鍼灸院を開業されたと年賀状を頂いた。それまで少しお話しさせてもらった印象から、きっと腕のいい患者さんのためになる先生になるだろうと思っている
2018年1月18日更新

甲子園に行った

名古屋の専門学校に通ってた頃、一度だけ甲子園に行ったことがあった。1981年8月の話
夏休みの帰省から早めに名古屋に戻って来たが、級友はまだ、みんな家に帰ったままで暇を持て余していた。そんなある日、名鉄神宮前の掲示板に「甲子園切符」をみつけた

そういえば明日、愛媛の今治西がベストエイトに進出して準々決勝があるので、どうせ暇なら見に行ってみようかな?と思って。
名鉄は始発が意外に遅いので、JR(当時は国鉄)に6時台に乗って名古屋から新幹線で新大阪在来線で梅田、そこから阪神電鉄に乗って初めて甲子園球場へ着いた。
内野の席を買おうかと思って切符売り場に近づくとそのタイミングで売り切れ。
やむなく外野席(無料)に回った。とても暑い日だった。
試合は第一試合がすぐに終わって組み合わせ抽選会。そして今治西と報徳高校の試合が始まった。今治西エース藤本対報徳金村の投げ合い。試合は今治西が先制点を挙げたが報徳の見事なツーランスクイズで逆転。折角応援に来たのに報徳の前に敗れ去った。
余談だが、金村は在日韓国人だった。国籍の無い選手は秋の国体に出場できない。かつて早稲田実業のエースで4番の選手が外国籍で有ることから、優勝など一番の功労者でありながらその選手だけ国体に出れなかったという社会問題になった事があった。
それから一体何年たったのだろうか、この年から国籍が無くても高校野球に限り国体に出れるようになった。その後徐々に門戸を広げていったが、どうしてあの時変えなかったのかな?と思う。
次の試合で、頭部にデッドボールが当たり打者が昏倒するというアクシデントがあった。
それまで応援合戦で湧き返っていた球場がシーンと静かになった。
まさに「水を打った」という表現がピタリ。これは実際に足を運ばなければわからない生きた球場の雰囲気だ。
救護班担架が来てグラウンドも客席も凍り付いたように固まっている雰囲気の中で、当のピッチャーだけが、外野席から見てると実に「ゆうゆう」とキャッチボールをしていたように見えた。実際は心穏やかではなかっただろうが、その落ち着いた態度と度胸は、将来大物になるだろうなと予想させるに充分だった。
その投手は明電の工藤公康、西武ライオンズを皮切りに、各球団で主力投手として活躍、現在のソフトバンクの監督である

追伸
夏休みが終わって、みんなと再会したとき「甲子園に行ってきた」と自慢したら、仲良しだった高知の同級生はわしの顔をまじまじ見ながら「ひとりで行ったがか?やっぱおまんはかわっちゅー」とあきれ顔で言われた