当サイトからのごあいさつ

 

 

 

 

 
2018年2月4日 更新

昨年来、帯状疱疹に罹った人の話をたくさん聞く。「あわ よ」と呼ばれるこの病気は古来、灸で治療する事が当たり 前とされる時代があった。

若い頃の家内もその経験者であったので私もその話をよく 聞いた。ほんの四半世紀前、同じ会社の女性がこれに二人 同じ時期に罹り一人は伝手を頼んで灸をおろしてもらい、 昼休みに灸の上手な同僚にすえてもらい、一ヶ月かからな い内に快癒した。一方病院に通った人は一年経っても芳し くなかった。

去年、やはり帯状疱疹に罹った年配の女性は、灸が効くこ とを知り、且つおろしてくれる人も知りながら、毎日すえ てくれる家族もいないという事で、病院に行った。尤も今 は良い薬があるらしく、投薬で治るそうな。宇和島では加 藤整形に行く人が多いと聞く。
昨年夏、縁あって知人にその灸を据える機会があったが、 毎日の事なので、すえる方も、すえられる方も根気がいる し、昔のように、灸が身近で無くなってしまった。生活様 式はどんどん変わって古き良き民間医療は失われて行くの であろう。

それは即ち、人の意識、価値観も変わって行き、本当に大 事なものが姿を消してしまうのだろうなと、ふと思う。

そして、それらを失うことは、世の中にとって残念なこと になるような気がしてならず、少しでも抵抗して行きたい と思うのである。

因みに件のこの夏灸を据えた知人は、すえ始めて数日後、 先ず痛みが和らぎ、そして湿疹が一時的に拡がった後、徐 々に消えて行き見事に快癒した。
  2018年2月2日 更新

昨年末、かつての顧客さんが亡くなった。お年は優に80歳を超えている。6年くらい前 に一人暮らしなので今のうちにと進んで施設に入られた。船越集会所で施術会をしてた頃 からのお客さんなのでかなり古い。入所してからも、元気な時は時折バスで懇意だった船 越の美容院にも足を運んでいたと言う。

長寿の方の共通点は何かと聞かれることがあるが、私の経験上思うのは「自分の優先順位 が高い」と言う事である。自分の健康生命は何より優先であるから当たり前のようである が、意外と「自分の優先順位」を高く持っている方は少ないような気がする。
健康に関して、そんなに難しい事をする必要はない。ただ「自分の優先順位」を一番でな くてもいいから、二番か三番くらいにおいておけばそれが一番の健康法だと思う。
どんなに気を使っても、自分の優先順位が低い人は長生きできないようだ。.


件の亡くなられた方は、宇和島で若い頃を過ごし、年老いた母親の介護のため壮年期は船 越で過ごした。毎日母親を負ぶって坂道を往復したため腰を痛めたと言う。
それでも、私と出会って10年以上ほぼ毎月施術させてもらった。本当に自分の体を大切 にする方だった。定期的な施術だけでなく、電話で呼ばれて行ったのも二度や三度ではな かった。

思えばよくお世話になった。鯛やバナナなどを貰った事もあった。物覚えの善い人で、忘 れっぽい私とは対照的な方だった。
若い頃、恵美須町のダイエーセンターに勤めていて、中地下に漬物桶がたくさんあったこ となど、私の記憶の幾つかは、その方と一致していた。懐かしい話をたくさん聞いた。

近所の話では「最後はまぁまぁいい往生」だったと聞く。謹んでご冥福をお祈りしたい。
2018年1月24日更新

わしがまだ3歳くらいの頃、今日みたいに大雪が降った日があった。
その日おやじが、1日掛かって庭に雪だるまを作った。
頭を載せるのに、丈夫な板を渡したのを覚えているので、かなり大きがったと思う。庭だけでは雪が足りないため、山の道まで遠征した。

当時ここら近在の父親らは子供と遊ぶなどは稀で、一日暗くなるまで働いていた。高度成長期と言われていたのは都会の話で、ここら農村部は食べるのがやっとの時代であった。
そんな時期に文字通り「降ってわいた」休日に、珍しく遊んでみたくなったのかもしれない。

出来上がった雪だるまに、おふくろが炭で目鼻を付けて完成した雪だるまも、数日を待たず溶けて行った。おやじはテミで残雪をせっせと海に捨てて、短かった休暇は終了して、また忙しいだけの日常が始まった。

子供と違って雪に仕事を奪われる事を心配する大人になっても尚、ボヤきながらも雪に白くなってゆく景色を眺めて、なんとなくわくわくするのは、そんな思い出があるからなんだろうと思うのである。
2018年1月22日更新

日曜日に来られた、70代の男性、自営業の顧客様

思えば、創業間もないころから来てくださる

確か、おやじが死んだ2010年頃から足が遠のき、気にしながらいつか忘れていた。

それが昨年春くらいに、久しぶりに電話がかかって来た。

「まだ(整体業)やりよるかな?」

やりよるかな、は随分ご挨拶だが、数えてみれば7〜8年ご無沙汰なので無理からぬことであろう。

店であれ施設であれ、数年行かないうちに無くなってたと言う事は珍しくない昨今である。

そんなわけで、顧客率中断新記録を達成してまた通ってくださるようになった。

そういえば、お正月間もない時に来られた女性もほぼ創業当時から来てくださっている。結婚して名前が変わり、お子さんは来年中学生になると言う。

ここ数年、業績は決して上向きとは言えないが、忘れず・・いや忘れられても思い出してくださる方が、数えてみたら結構いるのでそれはまた、大変ありがたく思うのである。
  2018年1月21日更新

夜、ある若いご夫婦の家に出張。施術終了後、年末に体調崩して以来、小さなお子さんも夜熟睡出来てないとのお話を聞く。

昨日以来思う事「プログラムの書き換え」の話がまた口に出る。

家事と育児は、しばしば両立しない時がある。どちらが大切かと言えば、ほぼ全員「育児」と答えるが、どちらかを選ばねばならない時、意記事を優先させる人ばかりでないことに気づく。

或は、子供が寝たときに、家事を済ますのではなく、一緒になってごろ寝して、夕方まで寝てしまい、炊事をはじめ火事がおろそかになっても「まぁいいや」と思えるかどうかである。

親が楽をするのを子供に見せるのは、勇気がいることだがとても大事な事である。その後の子育てが格段に楽になる。それだけでなく、子供が親になった時も子育てが楽である。

口で言うほど簡単ではないが、そんなお話が出来ただけでも有益だったのではないかと思うのである。
2018年1月19日更新

もう5年ほど前、施術が終わった時、その若い女性の顧客さんから「手を見せて欲しい」と言われたことがあった。
その方は、数秒まじまじを私の手を見てから帰って行かれた。

それから、何度か来られたことがあった。県外の学校でで鍼灸の勉強をされていると言われた。

ある時、その時の事を聞いたら私の掌が熱かったので、と言われた。同じような事を言われたことは珍しくないが、手を取ってまじまじ見られたのは後にも先にもこの方だけだった。
今年、その方から、県内で鍼灸院を開業されたと年賀状を頂いた。それまで少しお話しさせてもらった印象から、きっと腕のいい患者さんのためになる先生になるだろうと思っている
2018年1月18日更新

甲子園に行った

名古屋の専門学校に通ってた頃、一度だけ甲子園に行った ことがあった。
夏休みの帰省から早めに名古屋に戻って来たが、級友はま だ、みんな家に帰ったままで暇を持て余していた。そんな ある日、名鉄神宮前の掲示板に「甲子園切符」をみつけた 。

そういえば明日、愛媛の今治西がベストエイトに進出して 準々決勝があるので、どうせ暇なら見に行ってみようかな ?と思って。
名鉄は始発が意外に遅いので、JR(当時は国鉄)に6時 台に乗って名古屋から新幹線で新大阪在来線で梅田、そこ から阪神電鉄に乗って初めて甲子園球場へ着いた。
内野の席を買おうかと思って切符売り場に近づくとそのタ イミングで売り切れ。
やむなく外野席(無料)に回った。とても暑い日だった。
試合は第一試合がすぐに終わって組み合わせ抽選会。そし て今治西と報徳高校の試合が始まった。今治西エース藤本 対報徳金村の投げ合い。試合は今治西が先制点を挙げたが 報徳の見事なツーランスクイズで逆転。折角応援に来たの に報徳の前に敗れ去った。
余談だが、金村は在日韓国人だった。国籍の無い選手は秋 の国体に出場できない。かつて早稲田実業のエースで4番 の選手が外国籍で有ることから、優勝など一番の功労者で ありながらその選手だけ国体に出れなかったという社会問 題になった事があった。
それから一体何年たったのだろうか、この年から国籍が無 くても高校野球に限り国体に出れるようになった。その後 徐々に門戸を広げていったが、どうしてあの時変えなかっ たのかな?と思う。
次の試合で、頭部にデッドボールが当たり打者が昏倒する というアクシデントがあった。
それまで応援合戦で湧き返っていた球場がシーンと静かに なった。
まさに「水を打った」という表現がピタリ。これは実際に 足を運ばなければわからない生きた球場の雰囲気だ。
救護班担架が来てグラウンドも客席も凍り付いたように固 まっている雰囲気の中で、当のピッチャーだけが、外野席 から見てると実に「ゆうゆう」とキャッチボールをしてい たように見えた。実際は心穏やかではなかっただろうが、 その落ち着いた態度と度胸は、将来大物になるだろうなと 予想させるに充分だった。
その投手は明電の工藤公康、西武ライオンズを皮切りに、 各球団で主力投手として活躍、現在のソフトバンクの監督 である

追伸
夏休みが終わって、みんなと再会したとき「甲子園に行っ てきた」と自慢したら、仲良しだった高知の同級生はわし の顔をまじまじ見ながら「ひとりで行ったがか?やっぱお まんはかわっちゅー」とあきれ顔で言われた